傍若無人
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ジャンル 朗読
所要時間 5分程度
締め切りに追われ原稿の執筆に追われているとある作家。
傍若無人な同居人はそんな作家の様子に不服げで……。
『傍若無人』 登場人物 私…締め切りに追われる作家 【以下本編】 私:ペンを走らせる原稿用紙が窓からの夕日で朱く染まっている事に気付き、私はランプに火を灯した。薄暗くなり始めた部屋に灯る明かりが少しだけ目に痛い。 私:机に向かうこと数時間。進捗状況はお世辞にも良いとは言えず、徹夜を覚悟して私は思わず重く溜息を零した。明日の朝には担当者が原稿を取りにやってくる。それ迄にこの物語を書き上げてしまわなければならない。タイトルすら未だ付けられていない物語を。何と気の重い事だろう。また溜息が出る。 私:背後に投げた書き損じの原稿を踏む音で、私は友人の帰宅を知った。声も掛けず戻った彼は振り返った私をじとりと見詰めた。まだ終わらせてなかったのかと非難するような視線に「そんな眼で見るなよ」と肩を竦める。 私:「私の筆が遅いことは今に始まった事じゃないだろう?」 私:そんな事は知ったことかと、友人が鼻を鳴らす。チラリと炊事場を見遣るのは、飯が出来ていない事を確認したのだろう。そして呆れた風に溜息のような長い息を吐く。夕飯を作るのは同居する上で私の役目ではあったのだが、此方にも都合という物が有る。締め切りは明日なのだ。このままでは到底間に合う気がしない。そう思いながらも私は敢えてそれを口にしない。それはこの年下の友人がそれを赦さないからだ。一言文句でも言えば、その倍の非難が返ってくるだろう事は短くは無い同居生活で学習済みだ。 私:床の上で丸まる原稿用紙を蹴って彼は此方に近付いて来た。平素無口な友人は矢張り何も言わぬまま机を覗き込む。と、まだインクの乾かぬ原稿用紙をぐしゃぐしゃと丸め始めた。 私:「おい、何をする!」 私:思わず声を荒らげた私だが、友人は気に留める様子すらない。原稿用紙は床に落とされ、紙屑になる。机の前で項垂れる私の脚を蹴って、丸まった紙屑達を蹴って。空いた空間に友人はごろんと寝転んだ。 私:全く腹の立つ相手である。が、彼に丸められた原稿は確かに私自身納得のいく物では無かった。筆が乗らずダラダラと惰性で書き綴った文書は陳腐な表現に纏まらない内容と、書き続ければこの物語が駄作になっていたに違いないのは明らかだった。物書きでない彼がそれを分かって居るのかは知らない。だが本当に邪魔な事はしない。したことがないのだ。 私:私はペンを置いた。立ち上がり炊事場に向かう。少し休憩して凝り固まった頭を解すのも良かろう。 私:「おいで、夕飯にしよう」 私:そう言えば友人は、にゃお、と一声満足げに鳴いた。 (了)